ロカビリーからカヴァー・ポップスへ
一般的に、日本のロックの始まりは1957年のロカビリー・ブームからと言われている。
ジャズ喫茶から始まったそのブームは、様々なロカビリー・シンガーを生んだ。例えば、ミッキー・カーチス、平尾昌晃、山下敬二郎など。彼らが出演する第一回日劇ウェスタン・カーニバルは、1958年2月に開催された。ロカビリーの音楽は1955年頃から流行していたマンボ・ブームを打ち負かすパワーを持っていた。
1950年代末になり、ロカビリーブームも落ち着くと、カヴァーポップス時代が到来。カヴァーポップスは、エレキブームになる前まで流行し、ポップスの名において、様々なジャンルの音楽がひしめき合っていた。その中でも内田裕也、尾藤イサオらは、ロカビリーを根底とし、ロックを継承していく。また、1963年頃からビートルズなどのマージービートのカヴァーポップスも存在した。
そしてエレキブームの直前、安価な和製エレキギターなどが登場することになり、日本のロックファンは「都会発の日本のロックを聴く側」から「日本各地で日本のロックを演奏する側」になる。
エレキ・ブームからマージー・ビート&ブリティッシュ・ビートへ
日本では、1964年頃からアストロノウツやザ・ベンチャーズがブレイクし、寺内タケシとブルージーンズなどがサーフ・ミュージックを演奏していた(通称、エレキ)。そして、藤本好一などがアストロノウツやザ・ベンチャーズの曲に日本語の歌詞を乗せたレコードをヒットさせていた。
これらの影響で、日本中でエレキが流行。エレキ・バンドはサーフ・ミュージックのカヴァーだけではなく、マージービートやブリティッシュ・インヴェイジョン・バンドの曲をカヴァーするバンドもいた。1965年、加山雄三はザ・ランチャーズを従えエレキ・バンドを結成、映画「エレキの若大将」で大ブレイクする。
同じ年、東京ビートルズがビートルズの日本語カヴァーシングルを発売、またソノシートで、東京ビートルズ本人たちの演奏だけでマージービートやブリティッシュ・インベイジョンのバンドの曲のカヴァー物を発売。
グループ・サウンズ
そして、リバプール・ファイブやアニマルズ、ビートルズ来日に合わせた形で日本のエレキ・バンドの多くは、ブリティッシュ・インベイション・スタイルのバンドへと変貌を遂げて行く。ジャッキー吉川とブルーコメッツやザ・スパイダースなどは、その先駆者であった。
そしてのちにグループサウンズと称されるバンドが多数登場し、エレキ同様、社会現象を起こしていた。が、そのスタイルはライブではブリティッシュ・インヴェイジョン等の影響が色濃かったものの、彼らの出すシングルやアルバムはロックとは無縁なものが多く、歌謡曲や和製ポップスなどの範疇に入るものが主流だった。
1980年代に入り、グループサウンズの音源が海外でガレージロックのコンピレーションという形で発売され、日本のロックとして人気を博す。世界中のガレージリバイバルやガレージパンクのバンド、オルタナティブ・ミュージック、グランジに影響を与えた。
彼らの中にはグループサウンズのカバーをやってのけているバンドが数多く存在する。そして現在も、海外ではグループサウンズを収録したアルバムが発売され続けている。グループサウンズはソフトロックファンにも人気がある。
ロックからニュー・ロックへ〜ロック多様化時代〜
以降、メジャーシーンでのロック(産業ロックなどを参照のこと)を中心をして語る前に、1960年代末〜1970年代中期にかけて裸のラリーズ、ジャックス、RCサクセション、フラワー・トラベリン・バンド、ミッキーカーチス&サムライ、ブルース・クリエイション、村八分、モップス、PYG、エイプリル・フール、はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、フライド・エッグ、四人囃子、マジカル・パワー・マコ、頭脳警察、外道等が活躍していたニューロック期があったことを付け加えたい。
そしてキャロル、クールスや、関西で活躍していた西のキャロルことファニー・カンパニー等が活躍していた事も重要。1970年代の関西では上田正樹とサウス・トゥ・サウス、ウェストロード・ブルース・バンド等のブルースロックやめんたんぴん、アイドルワイルドサウス等のサザン・ロック系のバンドも活動していた。また、沖縄が本土に返還されると紫、コンディション・グリーン等のオキナワン・ロックが注目を浴びた。名古屋ではBREAK
DOWNが活躍。1970年代の福岡では、80年代初頭に盛り上がるめんたいロックの元祖と言われるサンハウスやリンドン等が活動していた。
1970年代ジャパニーズ・ロックのメジャーシーンから1980年代へ
日本初の日本語ロックバンドは1969年に結成された、はっぴいえんどと言われている(注:根拠不明)。70年代に入ると、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドや、ビートルズ等の影響を受けたキャロル、オフコース、チューリップが活躍した。また、元ザ・タイガースの沢田研二はカテゴリに囚われることなく、ロック色を携えたシングル・アルバムを発表する。
70年代中ごろには、ロック色の強い甲斐バンド、浜田省吾、中島みゆきや、山口百恵(主に宇崎竜童作品)も活躍したが、ロックが国民に広く浸透したとは言えなかった。その状況を変えたのは、キャロルから独立した矢沢永吉、「ロック御三家」と呼ばれた、世良公則&ツイスト、原田真二、Charであり、また、1978年にデビューした、サザンオールスターズである。
彼らやTHE ALFEE、ブレイク以後のゴダイゴ(シングルに限定)、沢田研二等の作品はロックを日本人に親しみやすくしたものだった。70年代末頃から寺尾聰、クリエイション、町田義人、ジョー山中、柳ジョージ&レイニーウッド、RCサクセション、もんた&ブラザーズ、上田正樹、甲斐バンド、浜田省吾、桑名正博らが大ヒットを飛ばす。そして1980年に、佐野元春が登場する。
ニューウェーブ〜新しい波〜
1980年前後からパンク/ニューウェーブ、テクノポップのバンドやハードロック、ヘヴィメタル(BOW WOW、LOUDNESS、ANTHEM、アースシェイカー、44マグナム、ハウンド・ドッグ等)のバンド、Going
Back to 60sやオールディーズ・ブームに影響されたバンドが注目され始めた。
「めんたいロック」のムーブメントとともに、福岡から鮎川誠率いるシーナ&ザ・ロケッツ、ザ・モッズ、A.R.B.、ルースターズ、ザ・ロッカーズ、ザ・バッヂ、チェッカーズ。ライブハウス・ルイード出身のシャネルズ(ラッツ&スター)。関東のプラスチックスやアナーキー、ジューシー・フルーツ、ザ・ヴィーナス、一風堂、ヒカシュー、P-MODEL、関西では町田町蔵(現:町田康)率いるINUなどがシングル・アルバムをヒットさせる。
二十一世紀
2000年代には1990年代からの人気ミュージシャンとともに、メロコアに代わりSTANCE PUNKS、ガガガSPといったいわゆる青春パンク系バンドが活躍し、日本語パンクが浸透した。
現在、BUMP OF CHICKENやサンボマスター等の正統派ロックバンド、BEAT CRUSEIDERS、RIZE、HY、Dragon Ash等のミクスチャー・ロック・バンドなどが人気を集めている。
2000年代中期からはELLEGARDENやASIAN KANG-FU GENERATIONといったエモコアと呼ばれる哀愁漂うメロディーをパンキッシュなリズムに乗せた曲のスタイルのバンドが活躍し始める。 またメロコアブームのときに活躍したミュージシャンの再活動が目立ち、元Hi-STANDARDの横山健やULTRA BLAiN,SNAIL RAMPの再始動などによりメロコアの流れが再び活発化している。
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